人造宝石商

宮沢賢治は人々に安価で宝石を楽しめるようにと、人造宝石で商売することを考えていたようです。
父政次郎に東京で人造宝石商を始めたいと提案した結果、猛反対を受け実現には至りませんでした。

友人が結核で伏したときも当時一ヶ月80円の給料にうち30円もその友人に仕送りをしたと言います。
お給料20万円だとしたら8万円も仕送りしてたってことですよね。すごいことです。

そんな賢治ですからきっと宝石商を始めても利益にはつながらないことを政次郎は見越していたのかもしれません。

そして賢治は嫌々ながら家業を手伝わされることとなります。
当時の友人に宛てた手紙からも自暴自棄に陥っていたという様子が受け取れるようです。

ただ、賢治が人造宝石商を始めていたとしたら。
どんな素敵なものができていたんだろうと思うと惜しく思います。

世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。
そう残した賢治の言葉が当てはまるなぁと思ってしまいます。

ときに皮肉なことに、もし世界全体が幸福になったら世界はどうなるのか?
そんな研究をした学者さんがいました。

次回はその話でも。

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