妹トシが与えた影響

草稿調査によって、賢治の遺稿はほぼ調べ尽くされたと見られていたが、生家の土蔵から未発表の詩の草稿1枚(地形図の裏に書かれたもの)が発見されたことが2009年4月に公表され、『新校本 宮澤賢治全集』別巻(筑摩書房)に収録された。

広く作品世界を覆っているのは、作者自らの裕福な出自と、郷土の農民の悲惨な境遇との対比が生んだ贖罪感や自己犠牲精神である。
また幼い頃から親しんだ仏教も強い影響を与えている。
その主な契機としては浄土真宗の暁烏敏らの講話・説教が挙げられるが、特に18歳の時に同宗の学僧である島地大等編訳の法華経を読んで深い感銘を受けたと言われる。
この法華経信仰の高まりにより、賢治は後に国粋主義の法華宗教団国柱会に入信するが、法華宗は当時の宮沢家とは宗派違いであったので、父親との対立を深めることとなった。弱者に対する献身的精神、強者への嫌悪などの要素は、これらの経緯と深い関わりがあると思われる。
また、良き理解者としての妹トシの死が与えた喪失感は、以後の作品に特有の陰影を加えた。

作者の特異で旺盛な自然との交感力である。それは作品に極めて個性的な魅力を与えた。
賢治作品の持つ圧倒的魅力はこの天性を抜きには説明できない。

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