永久の未完成
生前に刊行された唯一の詩集として『春と修羅』、同じく童話集として『注文の多い料理店』がある。
また、生前に雑誌や新聞に投稿・寄稿した作品も少ないながら存在する(『やまなし』『グスコーブドリの伝記』など)。
ただし、賢治が受け取った原稿料は、雑誌『愛国婦人』に投稿した童話『雪渡り』で得た5円だけであったといわれる。
しかし生前から注目されていた経緯もあり、死の直後から、主に草野心平の尽力により多数の作品が刊行された。最初の全集は(作品全体からは一部の収録ではあるものの)早くも死去の翌年に野々上慶一が営んでいた文圃堂より刊行され、続いて文圃堂から紙型を買い取った十字屋書店が、それに増補する形で1939年から1944年にかけて出版した。
戦時下、『雨ニモマケズ』は滅私奉公的に受け取られ、求道者としての賢治像ができあがった。戦後は筑摩書房から(文庫判も含め)数次にわたり刊行されている。戦後は賢治の生き方や作品にみられるヒューマニズムを聖化する一方、反動としての批判、『雨ニモマケズ』論争が行われるなど再評価の動きもあらわれた。
賢治の作品は、一旦完成したあとも次から次へ書き換えられて全く別の作品になってしまうことがある。
これは雑誌に発表された作品でも同様で、変化そのものがひとつの作品と言える。『農民芸術概論綱要』においても「永久の未完成これ完成である」という記述がある。多くの作品が死後に未定稿のまま残されたこともあり、作品によっては何度も修正した跡が残されていて、全集の編集者が判読に苦労するケースも少なくなかった。
そうした背景から原稿の徹底した調査に基づき、逐次形態を全て明らかにする『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973~77年)が刊行され、作品内容の整理が図られた。これ以後、文学研究の対象として、賢治とその作品を論評する動きが増え、精神医学・地学・物理学など他の領域や時代背景を踏まえた論考も多くなった。
また、生前に雑誌や新聞に投稿・寄稿した作品も少ないながら存在する(『やまなし』『グスコーブドリの伝記』など)。
ただし、賢治が受け取った原稿料は、雑誌『愛国婦人』に投稿した童話『雪渡り』で得た5円だけであったといわれる。
しかし生前から注目されていた経緯もあり、死の直後から、主に草野心平の尽力により多数の作品が刊行された。最初の全集は(作品全体からは一部の収録ではあるものの)早くも死去の翌年に野々上慶一が営んでいた文圃堂より刊行され、続いて文圃堂から紙型を買い取った十字屋書店が、それに増補する形で1939年から1944年にかけて出版した。
戦時下、『雨ニモマケズ』は滅私奉公的に受け取られ、求道者としての賢治像ができあがった。戦後は筑摩書房から(文庫判も含め)数次にわたり刊行されている。戦後は賢治の生き方や作品にみられるヒューマニズムを聖化する一方、反動としての批判、『雨ニモマケズ』論争が行われるなど再評価の動きもあらわれた。
賢治の作品は、一旦完成したあとも次から次へ書き換えられて全く別の作品になってしまうことがある。
これは雑誌に発表された作品でも同様で、変化そのものがひとつの作品と言える。『農民芸術概論綱要』においても「永久の未完成これ完成である」という記述がある。多くの作品が死後に未定稿のまま残されたこともあり、作品によっては何度も修正した跡が残されていて、全集の編集者が判読に苦労するケースも少なくなかった。
そうした背景から原稿の徹底した調査に基づき、逐次形態を全て明らかにする『校本 宮澤賢治全集』(筑摩書房、1973~77年)が刊行され、作品内容の整理が図られた。これ以後、文学研究の対象として、賢治とその作品を論評する動きが増え、精神医学・地学・物理学など他の領域や時代背景を踏まえた論考も多くなった。
コメント
コメントを投稿