サイエンティスト
宮沢賢治の作品は独特の表現や言い回しが特徴です。
作中の色を鉱物で例えたり、風が吹く様子を“どうどどどどう”や雫が落ちる音を“ついついとん”などと、一般的な表現とは違う世界観を持っていました。
通常、執筆とは机に原稿用紙を広げ、にらみ合う。そんなイメージですが、賢治の場合は違いました。岩手の野山を歩き、風や光を全身で受け、感じたことを手帳に記す方法で物語は作られたのです。
大正十三年。
賢治は「春と修羅」「注文の多い料理店」をそれぞれ単行本として自費出版しましたが、全く売れず。広く一般に知られることはありませんでした。しかし、この処女詩集は文壇の一部を驚倒させることとなります。
辻潤は賢治の独創性と情緒や感覚の新鮮さを「若し私がこの夏アルプスへでも出かけるなら『ツァラトストラ』を忘れても『春と修羅』を携えることは忘れはしないだろう」と褒めちぎり、また、佐藤惣之助が賢治の言葉の特異性に「奇犀冷徹その類を見ない。大正十三年度の最大の収穫である」と大絶賛したのです。
その作品を通し、草野心平もまた賢治の作品に魅了され、交流を深めます。
その2人の関係がまた奇妙にも面白い様子が残されていました。
「多分は七月、私ははじめて宮澤(宮沢)賢治に手紙を書いた。(略)…特徴のある筆蹟と、不思議と思える文面が自分にはひどく印象的だった。特にその中の『私は詩人としては自信がありませんが、一個のサイエンティストとしては認めていただきたいと思います』といった一節は、四十数年たったいまでも憶えている。」
『詩人 草野心平の世界 -賢治からもらった手紙-』 より
作中の色を鉱物で例えたり、風が吹く様子を“どうどどどどう”や雫が落ちる音を“ついついとん”などと、一般的な表現とは違う世界観を持っていました。
通常、執筆とは机に原稿用紙を広げ、にらみ合う。そんなイメージですが、賢治の場合は違いました。岩手の野山を歩き、風や光を全身で受け、感じたことを手帳に記す方法で物語は作られたのです。
大正十三年。
賢治は「春と修羅」「注文の多い料理店」をそれぞれ単行本として自費出版しましたが、全く売れず。広く一般に知られることはありませんでした。しかし、この処女詩集は文壇の一部を驚倒させることとなります。
辻潤は賢治の独創性と情緒や感覚の新鮮さを「若し私がこの夏アルプスへでも出かけるなら『ツァラトストラ』を忘れても『春と修羅』を携えることは忘れはしないだろう」と褒めちぎり、また、佐藤惣之助が賢治の言葉の特異性に「奇犀冷徹その類を見ない。大正十三年度の最大の収穫である」と大絶賛したのです。
その作品を通し、草野心平もまた賢治の作品に魅了され、交流を深めます。
その2人の関係がまた奇妙にも面白い様子が残されていました。
「多分は七月、私ははじめて宮澤(宮沢)賢治に手紙を書いた。(略)…特徴のある筆蹟と、不思議と思える文面が自分にはひどく印象的だった。特にその中の『私は詩人としては自信がありませんが、一個のサイエンティストとしては認めていただきたいと思います』といった一節は、四十数年たったいまでも憶えている。」
『詩人 草野心平の世界 -賢治からもらった手紙-』 より
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